2008年10月09日

映画『アキレスと亀』

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たけしの映画を劇場で観るのは「座頭市」以来となるが“売れない画家の話”になると知った時から観たいと思っていた。世間では今回も相変わらずの賛否両論の評判らしいが、それはいつもの事で北野映画にはお約束の様なものだし、それに「TAKESHIS'」や「監督・ばんざい!」の世評に比べれば遥かにマシだろう、ヴェネチア効果もあって。

「座頭市」は請負仕事だし、鑑賞直後は結構良いと思った「BROTHER」も久しぶりにDVD引っ張り出して観たけど「こんなんだったかなぁ~?」の二時間強だった。画面のスカスカした感じ(たけしの映画の特徴と言えば特徴だけど)が平板な物語を更に退屈なものにしているし、ガン・アクションもVシネじみていてチャチ。主人公が日本を離れるまでは結構いいんだけど、アメリカに舞台が移ってからはまるっきりダメで日本人がアメリカで撮影していますって空気がそのまんま画面にも映っている。鑑賞した公開時も「ああ、たけしでもやっぱこの空気が出ちゃうんだな…」と思ったもんな。
まぁ、よくよく思い出してみれば、この映画は山本耀司の衣装が好きで観ただけと言った不純な動機が多分にあったワケだから耀司だけ堪能出来れば充分ではあったんだけど(苦笑)

ま、それはさておき、

「アキレスと亀」はここ数年の北野映画の中では一番の作品なのは間違いない。

これまでの作品を考えれば中々丁寧な作り方をしているなぁ~というのが率直な感想。

インタビューなどで北野武は「これまではアウトサイダー的だったが今回は映画の王道的な作り方で作った」というような事を方々で答えているが、タイトルにもなっている『アキレスと亀』の意味を説明するところからこの映画が始まる事でその事を証明している。もっとも、その意味を予め観客に理解してもらわないと結末がうまく機能しなくなるからなのだけど、それでもやはり敢えて“丁寧な”と表現して差し支えないと思う。

誰にも理解してもらえないのが芸術、されど誰かに理解してもらえないと成り立たないのが芸術。このパラドックスを多くの人に観てもらう事で成立している“商業映画”として撮った事が面白いし、作品自体もとても面白い。

ラストの空き缶を蹴るシークエンスを観た時は「おお、これは意図通りだとしたらもの凄いぞ!」と内心身震いする様な興奮を覚えたが、どうやら予め意図したワケでなく“偶然”の産物だったらしい。しかし、素晴らしい映画にはそういう偶然さえも必然に変えてしまうチカラがあるように思う。

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