2006年11月27日

茶気という言葉

岡倉天心生誕の地
最近久しぶりに耳にした言葉がある。「茶気」という言葉だ。普段あまり使われないこの言葉を一体どこで私は知ったのか…意味と使い方は知っているのだがどこでこの言葉を聞き及んだか思い出せない。そういうのは誰にでもあると事と思う。ああ、歳取るたびに瞬発力が失われる…30代前半でこの有様とは我ながら情けないが、そんな気持ち悪い日々が数日続いた。

少し逸れるが、「茶気」という言葉は「誰々~は茶気がない」とか「茶気がある」と言う風に使う。お茶目とか、茶目っ気とかそういう意味だ。ちなみに私に対して使うならば「茶気がありすぎる」というのが正解だろう。これは決して褒め言葉ではない。

話を戻して、さてこの言葉をどこで知るに至ったのか?実はあっさり解決してしまった。
今年は岡倉天心の「茶の本」出版100周年記念の年で久しぶりに手にした「茶の本」の冒頭に出てきた。「あ~~これだ!」これで一件落着。
この「茶気」という言葉が出てくる「茶の本」とは、簡単に説明すると東洋(日本)の茶の文化を西洋に紹介した本で、欧州でも当時ベストセラーになった本。ともすると難解な本と思われるが、とても明快で読みやすい本だと思う。

著者の岡倉天心は私より110年早く横浜に生まれた偉大な美術家であり思想家で、日本美術を西洋にいち早く紹介した人物でもある。当時のあまりに性急な欧米化に対して警鐘を鳴らし、真の日本(東洋)文化、芸術、思想を追求し続けた天心の哲学は100年以上たった今日でも充分リアリティを持っている。彼の見ていた地平には東洋西洋の垣根を越えた文化の創生というものが映っていたのではないだろうか。そういうダイナミズムを持つには今日は難しい時代だと思うが、こういうカオス時代だからこそ必要な覇気ではないか。

2006年11月26日

牡蠣と私

牡蠣といえば今からが旬の食べ物だ。レモン汁やポン酢などで頂く生牡蠣。牡蠣グラタン、牡蠣のホイル焼きなんてのもいいかも。でもやはり牡蠣と言えばカキフライが代表格ではないだろうか。
生牡蠣は苦手だがフライだと好きという人もいるだろう。本当にカキフライは美味しい。
別にカキフライについて語るつもりじゃないんだ…

そんな牡蠣が好きな私だが、とうとう去年の冬から牡蠣がダメになってしまった。
渋谷で飲んだある時の事、友人達と落ち合う約束の時間、1人の友人が少し遅れると連絡があり予定通り来た友人と、時間調整の為にあるお店に入った。私はその日、何も食べていなかったのでお店に入ってメニューを見たとたん食欲が沸き出し急遽、軽く食べる事にした。その時に眼に飛び込んできたのはカキフライサラダだった。「カキフライサラダ?ああ、普通のレタスサラダに2、3個のカキフライが乗っているようなものかな…」と勝手に想像し注文した。少し経って注文したカキフライサラダがやってきた。それはおおよそイメージ通りのものだった。カキフライの数を除けば…。それは6個以上はあったと思う。しかも結構な大きさだ。
予想以上の量だったので、もちろん友人にも食べてもらったのだが、なんせ空腹だった私はそのとても美味しいカキフライをパクパク4つは食べた。別にどうって事はない。6つは多いけどね。なんせこの後が本番なんだから。そして小腹も満足したところで、遅れてくる友人との待ち合わせ場所へ移動して改めて別のお店へ入りひとしきりオーダー。食べて飲んでをし始めて30分くらい経った時、私のお腹がメルトダウンし始めた。「ん?なんか変だぞ?」「…なんだ急に」「うう…お、お腹が」こんな時頭を過ぎったのはあのスネークマン・ショーの伝説的コント「これ、なんですか」だ。もちろん宴が始まってからまだ1時間もたっていないのだから、ここで「すまん調子が悪い」などと腰を折るような事は言い出せず、とりあえずいけるところまでポーカーフェイスでいこうと決めた。この時間がただただ過ぎ去っていってくれる事を祈りつつ回復を期待するしかない。そこからは私は寡黙で小食なオヤジに変身しひたすら気取っていた。と思う。幸い友人達には気付かれなかったのだが、そんな私のポーカーフェイスが裏目となり1人が「まだ時間あるしザリガニカフェで甘いもの食べない?」などと言い出した。いつもの私はなら「行かない」とは言わない。だからせっかくポーカーフェイスで通したこの日も「行かない」とは言えない。
やもえずザリガニに行き美味しそうなアイスをパクつく友人を尻目に私はひたすた耐えた。途中で美味しい酸素を吸入しに店外へ出て散歩してみたりして。外で酸素吸入中少し気分が回復したからか、この原因が牡蠣のせいである事に気がついた。その日から遡ること数週間前、生牡蠣を食べた時があり、その時も似たような目に遭った事を思い出した。もちろんその時はさほど深刻な症状ではなかったのですっかり忘れていたのだ。それに牡蠣が原因だなんて思ってもみなかったし、それまでは牡蠣は大好きで全然そんな事になった事はなかったのだ。
「しまった…迂闊だった」そんな言葉が脳裏を過ぎった。そうこうしていると最後のメルトダウンが始まり私は寒空の渋谷でひたすら夜空を見上げ深呼吸を繰り返し続けた。

ある知人はアメリカ留学中に食べたエビにやられてそれ以来甲殻類全般がダメになったと聞いた。又、ある人は蕎麦アレルギーで蕎麦を口にすると堰が出て止まらなくなる。
それらに比べれば私の症状なんて他愛ないレベルだろうが、再び牡蠣を口にしようとは思わない。あんなに美味しい物が食べられなくなるなんて…残酷だ。

2006年11月24日

ベルギー王立美術館展とダリ回顧展

地獄の門
ベルギー王立美術館の“顔”ともいうべき「イカロスの墜落」がやってくると言うので、その「イカロスの墜落」とマグリットの「光の帝国」が鑑賞出来ればいいかなと思っていたが、色々観て見るととても興味深い作品が多い。決して派手な作品や作家勢揃いというワケではないがその時代時代に見る社会風俗などがとても上手く、そしてユニークに描かれているものが多く常にヨーロッパにあってイギリスやフランス、ドイツなどの大国に挟まれて生きてきたベルギーのベルジャン気質とでもいうべきクールな感性が感じ取れるようだ。
ベルギー王立美術館展猿の宴光の帝国
ベルギー王立美術館展

ダリ回顧展ポルト・リガトの風景お疲れちゃん
そして各所で不満を耳にするダリの回顧展。スルーのつもりだったが、やはりダリ好きがだまって素通りする事など出来ない、と思い直し結局覗いた。
混雑はリサーチ済みだったので、以前と重複している作品や「アンダルシアの犬」などはサッサとスルーし流し観してしまった。「何故、覗いちゃったんだろう?状態」。それにしてもあれは鑑賞なんて出来るような環境ではない。もう、カラスの行水だ。ダリを初めて真近で観ようなんて人には気の毒だし、ダリ好きにとってはストレスが溜まるばかりで、“回顧展”といえば聞こえがいいが…。もう少し観覧に対する配慮というものを考えてもらいたかった。新宿三越の美術館でやったダリ展の方が良かった。

2006年11月23日

畠山美由紀の教会ライブ

Miyuki Hatakeyama 2006 Live "Fragile"
キリスト品川教会 グローリア・チャペル
今年で5年目となる品川教会グローリア・チャペルでのライブ。DVDなどで観ているが実際に行くの今回が初めて。畠山美由紀のライブは今年6月の『Miyuki Hatakeyama 2006 TOUR「リフレクション」』オーチャードホールのライブツアー以来で今年2度目になる。
まずオープニング・アクトに沖仁と元choro azulの林夕紀子が登場。choro azulの解散を聞いた時は本当に残念だったけど、現在はソロ・アルバムをレコーディング中との事でそちらに期待。そんな彼女のカッコイイ貫禄ボイスと沖氏のスパニッシュギターのフラメンコな最強ラテンコンビでのオープニングアクトはとても贅沢で得した気分。

畠山美由紀はお馴染みジョニ・ミッチェルのカヴァーからスタートしオリジナル曲とA・C・ジョビンや荒井由美、美空ひばりのカヴァー等を織り交ぜながら熱唱。相変わらずJazzでもBossaでも何でも歌いこなす懐深いヴォーカルと倍音がとても心地よい。サポートメンバーとして参加しているショーロクラブの笹子重治氏のギターの素晴らしい音色と美由紀女史の歌声と調和してて厳かな雰囲気すら漂わせる。ライブ中盤にはスペシャルゲストのPort of Notesでの相棒、小島大介氏が登場しPort of Notesの曲もやってくれて会場はさらに大興奮。その後も「Sabia」や「Lover Come Back To Me」など名曲カヴァーを披露。
そして個人的には小田急ロマンスカーのCMソングでお馴染み「ロマンスをもう一度」を生で聴けたのがね、何よりのお土産。06年度バージョンのアン・サリーも良いけど、やはり美由紀女史の方が趣があるかな。アン・サリーファンの方ゴメンナサイ。

ライブ終了後の帰り道、余韻に浸りつつ…「音楽で人を励ましたり、感動させたりできるというのは素晴らしいなぁ~」と毎度の事ながらそんな事を思ってしまう。特にライブはスポーツの領域に近い感動があると思う。これは芝居の舞台などとは少し違う。もっと本能的な部分にダイレクトに入ってくる感動だ。

兎に角、至福の2時間半だった。

2006年11月19日

総合芸術

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他の人は1つの映画作品を気に入ったら何回くらい繰り返し観るのだろう…
私の場合、ひとたび気に入ればDVDを買うなり(昔ならビデオかLD)を購入するなりして何度も何度も繰り返しみる。昔、映像を勉強してた時、気に入ったシーンがあればカメラワーク、照明から編集、俳優の芝居、等々を分析しながら観て勉強していたので、未だにその癖が抜けない。という事も影響しているとは思うが、おそらくそれは大した影響ではないだろう。ただ単純に繰り返し観るのが好きなだけなのだ。お気に入りの音楽を繰り返し聴かない人なんていないだろう。
立派な作品(完成度が高い)も好きだが、どーしようもなく救いようのない出来の映画でも1カットでも良いところがあれば結構好きになる事もあるし、お気に入りの俳優が存分に活躍していれば、ストーリーがヘボでも評価が甘くなる事も良くある。
あえて一例を出すとすれば、S・キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・ショット」など結構好きだ。
キューブリック自身が認めている様に、彼の作品の中で言えば思いっきり駄作だ。トム・クルーズ夫妻に振り回されたとも思える脚本、陳腐な結末。浅い描写とテーマ。どれを取っても歴代キューブリック作品から比較すれば合格点以下だ。(「フルメタル・ジャケット」もキツイかな…)でも、あの彼特有の柔らかい照明とビジュアル、常に張り詰める緊張感と距離感。これは失われていない。それだけでも担保されていれば単純な私などもう「OK!」と言ってしまう。
映画は総合芸術。文学、音楽、映像、芝居、美術、建築。ありとあらゆる要素が必要で、またどれが欠けても成り立たない。それに関わる人の数と時間も相当なものだ。違う言い方をすると「映画は妥協の産物」でもあるワケで、人生と同じだ。人生は常に“妥協”と“選択”の繰り返しだ。人生において迷わないし、選択を誤らない人などいない。(いたら紹介してくれ)映画はあらゆる人生の縮図を映像化しているに過ぎないのだから人生同様、完璧な映画なるモノはありえない。だからこそ映画は面白いし、あれこれ文句を言いたくなるのだろう。

2006年11月18日

ブラジル祭「FESTA ALEGRIA BRAZIL」

夢心地国内最大規模のブラジル・フェス「FESTA ALEGRIA BRAZIL(フェスタ・アレグリア・ブラジル)」2008年の日伯交流100周年に向けて開催されるイベントで、「日本に住むあらゆる国籍の子供たちに、ブラジルの遊びやスポーツ、文化に触れ、心と心の交流を通して、『アレグリア(生きる歓びを感じて・・・)』を体験できる機会を提供する」ことを目的としている、との事。

催しにMAMELUCOのライブがあるが、19日予定で観る事ができないのが残念。(そういや、S・メンデスのライブも行けなかった…残念)代わりに浅草サンバーカーニバルのグループのサンバを拝見。DITAで喉を潤しながら観てるとフワッと良い気分。
それにしてもこういう国際交流イベントは文明開化の地ヨコハマらしく、とても自由な雰囲気と活気があってホッとするし楽しい。NPOの国際交流ボランティアやユニセフなんかの窓口とかもあったが縦の交流ではなく横の交流という感じが上手く出ているのではないだろうか。
全然関係ないが、根岸米軍キャンプのフレンドシップデーとかを思い出してしまった。(まだフレンドシップデーはやってるのかな)

サンバカーニバルサンバカーニバル
浅草サンバカーニバル

cafe CABOCLOとcafe UNIAO
お兄ちゃんに「ブラジルの人達に一番飲まれてるコーヒーですよ~」と声を掛けられ購入したcafe CABOCLOとcafe UNIAO。UNIAOの方は極細挽きを購入したので、こちらはエスプレッソで楽しめそう。

2006年11月16日

傑作選映画『日本のいちばん長い日』

日本のいちばん長い日
最近、古めの映画ばかり観返してるが、たまには邦画もと思い手に取ったのは大宅壮一原作、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」。
この映画は私の邦画生涯ベスト10に入る作品で、東宝創設35周年記念で製作された作品。
大東亜戦争末期、ポツダム宣言の受諾で揺れる日本政府と“国体の護持”を盾に本土決戦で活路を見出そうとする陸軍若手将校らのクーデター騒ぎ、いわゆる「8・15事件」を描いている。
高齢にも関わらず、終戦処理の為に担ぎ出された鈴木貫太郎首相(笠智衆)や若手将校達の突き上げを受け敗軍の将として重圧に苦しむ米内海相(山村聡)阿南陸相(三船敏郎)など当時の日本中枢部の抜き差しならない状況が迫力満点。黒澤映画に欠かせない橋本忍が脚本を担当しているので人物模写と論理構成がしっかりしていて力強いし、岡本喜八監督の独特のテンポと演出が冴えてる。
特にクーデターを画策する若手将校役の黒沢年男や高橋悦史、中丸忠雄らの演技はなかなかだし、加山雄三、志村喬、小林桂樹等々当時の黒澤組、岡本組の常連スター総出演で本当に超豪華。

戦前・戦後のターニングポイントといってもいい出来事のワリにはあまり知られていない歴史だと思うので、こういう事を経て今の平和が築かれているのだという事を知っていてもよいのでないかと思う。

2006年11月14日

LOMO風に。

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先週は天気もよく富士も良く見えたので久しぶりにパチリ。それだけじゃつまらないので、久しぶりにLOMO風にしたけど、富士山が分かりにくくなってしまった。

2006年11月13日

エスプレッソと珈琲物語

以前、ホームページ版の濱スト日記でも書いた事けど、私がいつも愛飲しているエスプレッソコーヒーはKIMBO(キンボ)で、成城石井の横浜店か渋谷店でいつも購入しているのだが、横浜店にいつもの様に買いに寄ったら陳列棚が空っぽ。店員に確認したら「ただいま在庫切れで、○曜日に入荷します。」と言われ、その間、非常にストレスが溜まった事があった。先日、渋谷店に寄ってやはり陳列棚を確認したところ、やはりKIMBOが在庫切れ。…ちょっと前まで数が少なくなってる事はあっても、寄った時に品切れだなんて事なかったのに…そんなにみんな飲んでいるのか?

イメージ画ある行きつけのカフェの店主に「今度、新しいコーヒー出そうと思ってるので、試飲して意見聞かせて。」と言われた事があった。その時はちゃんと試飲し、意見も言って新たにメニューに加えるのに問題無い。という事になったのだが、それから少し経ったある日、ふと試飲した事を思い出した私はその店主に「そーいえば例のコーヒーはどうしたの?」と聞くと店主曰く「オーダーした豆は同じなのにこの間の時と味が全然違うの」と言う。もう一度試飲させてもらったが確かに味がこの間と全然違う。店主が言うには、オーダー間違えとか手違いではないし、卸問屋にも確認したと言う。
イマイチ原因もハッキリしないまま結局その味が違うコーヒー豆は「しょうがないから家に持って帰って飲む」と言って新しいブレンドメニューの追加は保留になってしまった。
そのカフェは今は残念ながら店じまいとなったのだが、たまにそんな事を思い出しながら私はエスプレッソを飲む。その店主の淹れてくれたコーヒーには遠く及ばないが。

2006年11月12日

スーパーエッシャー展

スーパーエッシャー展渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで開催が始まった「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の奇跡」を観た。
どーしても初日に観たかったので一応、腹を括って行ったのだが雨のおかげか思ってたより余裕があった。(まぁ、それでも混雑してたけど)
私にとってエッシャーはダ・ヴィンチ、ダリ、マグリットと並んで好きなアーティストで、かなり前にハウステンボス美術館所蔵のエッシャー展を観ているが、今回はそれをはるかに上回る展示数でまさに“スーパーな”エッシャー展だから行かないでいるワケにいかなかった。

「だまし絵」であまりに有名な人なので、私がここで感想など野暮というものだろう。それでもまだエッシャーにあまり触れた事のない人にも是非、観てもらいたいと思う。

「イタリアの風景に魅せられ風景の版画を主に制作していた彼がイタリアのファシズム台頭でイタリアを離れ故郷オランダに戻っても、イタリアの景色のような景色を故郷に見出すことが出来なかった為、テーマは心象風景に向かわざる得なかった」というのはエッシャー自身の言葉。そこから彼の“平面の正則分割”“シンメトリー”“だまし絵”を追求していくことになったドローイングや版画、オブジェ制作とその過程が興味深い。彼自身、「自分が芸術家であるという事より数学者に近いと意識していた」らしい。
展覧会自体も上手く構成され、分かりやすく3Dグラフィック再現していたり飽きない工夫もされていた思う。主催側の展示アプローチもなかなか良い。
でんぐりでんぐりドラゴン
右画像のフィギュアはエッシャーの「ドラゴン」という作品のフィギュアで、昔懐かしいガチャガチャがプログラム・グッズ販売コーナーの一角にあり、エッシャー作品のフィギュアを手に入れたい沢山の人が“ガチャガチャ”してたので、私もガチャガチャして手に入れた物。一番人気の“でんぐりでんぐり”が欲しかったがドラゴンもなかなか。


この間のヴェートーベン交響曲の狂い聴きに引き続き、今日の狂い聴きは「ドヴォルザーク 交響曲第6番ニ長調第3楽章」

2006年11月09日

芸術は自由を強要する

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宮下誠 著「20世紀絵画 -モダニズム美術史を問い直す-」
なかなか読み進められずにいる。
読書は私にとっては精神的余裕がないと出来ない行為の一つだ。本屋に行っては何かしら買ってくるのだが、そうやって積み残された宿題の様に未読の本がただただ増えていく。
ある友人は本代を節約すべく図書館を活用しているそうだ。私もそうすべきか?
それはそうと、“精神的余裕がない”という自分の状態を物語ってるのか、狂ったようにヴェートーベンの交響曲第7番第4楽章を聴いている。本当に最近の事だが、ようやくヴェートーベンの良さが分かってきている。それにしてもこれでコニャックを注いだグラス片手にしながらだと完全に自己陶酔中の画だが、残念ながらそんなに優雅な姿ではない。

「芸術は自由を強要する」という言葉がある。芸術は自由であるべきものだが、何物からをも影響を受けてない人などいない。完全無欠な自由を手にしている人など存在しない。しかし、芸術は自由でなければならないので、人は自由を実感する為に不自由さを定義する。という意味の言葉なのだが、これは芸術だけでなく全ての事に当てハマる事だ。座右の銘などとは言わないが、なんとなく気に留めている言葉だ。


ところで、エントリーの投稿日時を指定日で予約しておけるというのは便利だ。予め書き溜めておいて公開日時の指定さえしておけば自動的に公開してくれるんだから。私の様に書く時、書かない時の波が激しい人にはもってこいだ。

傑作選映画『二十四時間の情事』

二十四時間の情事
この映画はアラン・レネの長編デビュー作でエマニュエル・リヴァと岡田英次主演の戦後の広島を舞台にした男と女の物語。

戦時中に遭ったつらい過去を引きずりながら生きている男女の24時間のお話で、故郷での心の傷を癒せぬまま生きてきて、反戦映画の撮影の為に広島を訪れていたエマニュエル・リヴァ演じるフランス人女性と、その女性の心の傷に強風を吹きかける岡田英次演じる日本人男性との激しくもつらい恋。二人には二十四時間しか与えられない。

彼女はいわば“過去”で彼は“未来”なのだ。それを交差させて生まれる葛藤は、実は戦争の記憶が薄れつつある現代に対するアンチテーゼで、その事が「何故この映画の舞台が広島なのか?」ということを明確にしている。漠然としか観てなかった十数年前には読み取ることが出来なかったが、今回観直した事でようやく理解する事が出来た気がした。
映画はしょせん光と影でしかないが、その光と影が普段何気なく生きている我々の見落としている視点を浮き彫りにさせてくれる。

2006年11月05日

コラージュとフォトモンタージュ展

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東京都写真美術館「コラージュとフォトモンタージュ展」を観た。
100年以上前の写真など、もちろん今日の撮影機材も撮影技術も違うワケだが、そこにはちゃんとアイデアとテクニックが盛り込まれていて合成をする事でむしろより自然さが強調され、肉眼で眺める景色よりも、より“ホンモノ”の世界が切り取られている。写真をただ写し画としてだけでなく絵画、版画といった表現方法を組み入れながら今日のフォト・モンタージュ、コラージュを形成していく過程がとても分かりやすく鑑賞出来た。


最近、ちょっと硬派な映画作品の鑑賞が続いたので、少し柔らかいヨーロッパ映画が観たいと思い、C・ルルーシュの「男と女」を借りようと思ってビデオ屋に寄ると、運悪く貸し出し中…昨日の様な話を聞かされた後でなお、観たかったのに…残念。しょうがないので、「二十四時間の情事」と、好きなベルナデット・ラフォン見たさに「私のように美しい娘 」をレンタル。
どちらも改めて観なくても感想書けるが、久しぶりなのでちゃんと観た後にレビューを書くつもり。

2006年11月04日

書置きもなく…

ある知り合いの既婚男性の話だが、その男性がある日、自宅に帰宅してみると部屋が空っぽの状態。空っぽというのは奥方と奥方のモノが自宅から無くなってしまっていたのだという。幸いにも子供もいなかったので結局そのまま離婚というパターンだったみたいだが、男性は奥方が出て行ってしまった心当たりはないとの事(本当か?)私はプライベートな知り合いではないので結局、根掘り葉掘りと話を聞く事は出来なかったが、その男性は「いや~一人になって気ままで良いですよ~」なんて言っていた(苦笑)こちらは「ハハ…」と乾いた笑いをその男性に返す事しか出来ず、なんとも居心地の悪い時間を過ごしてしまった。
もちろん、この男性の話は事の顛末から少し経った後だったので、男性の「気ままでよいですよ~」というのは決して嘘ではないだろう。
この男性の夫婦関係や結婚生活を私は詳しく知らないので、一括りにする事は出来ないが、結婚が良いものだと聞かされる事は本当に少ない。それにしても別れを決意した女性というものは得てして黙して語らず去ることが多いが、それが単に恋愛の範囲での事なら私でも理解のうちだが、こと夫婦間でもこの様な事が起こるのでは…別にその男性はギャンブル狂いでも酒乱でも無いはずだが…
ま、夫婦にしか分からない何かがあるのだろう。そーいえば内田有紀も黙って出て行ったんだっけ。
結婚するバカしないバカとよく言うが、同じバカならどちらのバカがより賢明なバカと言えるのだろうか?

傑作選映画『未知への飛行』

06.11.04.jpg東西冷戦を痛烈に皮肉った映画で私がモーレツに好きな映画が2本ある。1本はS・キューブリックの「博士の異常な愛情 -または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか-」ともう1本はC・ルメットの「未知への飛行」だ。
先日、久しぶりに「未知への飛行」を観たのだが、ヘンリー・フォンダ扮するアメリカ大統領が最後にする決断と命令に対して改めて考えさせられてしまった。(この作品に興味を持った人の為にここではあえてその“決断”とはどういうものか書かない)ヘンリーフォンダはとても真摯な対応を取るのだが、その真摯さというのは国益を守る最高指導者としての真摯さではなく、ヒューマニズムを優先させたという意味だ。これは悲しい事だが、政治的判断と道義的判断は相反するのだ。(劇中の道義的判断というのも本当は道徳に反してしまっているのだが…)考えれば考えるほどパラドックスに陥ってしまう…。
もっとも、この映画はそういった事を訴えてる映画ではなく核戦争に勝者はいないという事なのだけど…
今観ても素晴らしいポリティカル・サスペンスの傑作だ。


余談だが、本当は今一番観直したい作品はバート・ランカスターとカーク・ダグラスの「5月の7日間」という作品なのだけど、調べたらDVD化されてないし、レンタルビデオショップにも置いてない。

2006年11月02日

俺も年か…

みなと赤十字病院
過労から入院となってしまった…というのはウソで実は見舞い。
病院内に入ろうと正面玄関付近を歩いていると、今時、素肌にベストでダブルの3ピースという一見ホストのような兄ちゃんが険しい表情で手荷物持って玄関から出てきた。それを追いかける看護士と病院職員、看護士の手を払いのけて歩き続ける兄ちゃん。
病院を無断で退院しようとしている男性と止める病院関係者という光景だと思うが、まるでドラマみたいだ。そんな医療ドラマの“お約束”の様な出来事を目の当たりにする事になろうとは…
おそらく、そんな光景は日常茶飯事なのだろーが、病院嫌いで滅多に病院なとに近寄らない私にはとても非日常な光景だった。